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暮らしと銅銅について知る

銅利用の歴史

人類が初めて手にした金属

古代文明は、石器時代を経て、銅・青銅器時代、鉄器時代の順で発達したといわれており、銅は人間が初めて使った金属という歴史があります。銅が初めて使われたのは、紀元前7,000年~8,000年頃といわれています。古代エジプトでは紀元前5,000年頃、日常生活の器具や装飾品、武器などに銅を使用していたことが知られています。

その後、紀元前4,300年頃には銅の製錬が行われ、紀元前3,700年頃には10~14%の錫を含んだ青銅がつくられています。黄銅は、キリスト誕生の直前に古代ローマ人によって、亜鉛を17.3%含んだものが初めてつくられ、貨幣として使われていました。

銅の元素記号Cuは、紀元前3,000年頃に、キプロス島が銅生産の中心だったことから、キプロスから転化したラテン語の頭文字に由来するといわれています。

日本における青銅器時代~江戸時代

弥生時代の古墳から発掘された銅鉾、銅鏡、銅鐸などから推定して、日本で青銅器時代が始まったのは今から約2,000年前頃といわれ、当時から銅は日常生活の用具や武器として使われていました。古くから銅が使われたのは、自然銅がみつけられ、溶解や鋳造が容易にできたからと考えられています。

銅鉱石を始めて産出したのは698年で、周防の国(今の山口県)、因幡の国(鳥取県)から銅鉱を朝廷に献上したことが伝えられています。708年には、武蔵の国秩父から献上された銅を用いて貨幣(和同開珎)がつくられ、年号も和同と改められました。また、飛鳥地遺跡から出土した「富本銭」は、その鋳造が和同開珎よりも前であることが確認され、7世紀後半には産銅量がすでに一定の水準に達していたと考えられています。

奈良時代や平安時代には、青銅の仏像や工芸品などが盛んにつくられました。特に、749年には東大寺大仏が建立され、銅の製錬、鋳造加工技術は著しい進歩を遂げました。 室町時代に入ると、中国、スペイン、ポルトガル、オランダなどと貿易が開かれ、鉄砲や貨幣、日常生活の器具などへの銅の需要が増え、江戸時代の寛文、元禄の頃になると銅は金銀にかわって長崎貿易の主力となりました。この頃には、水車を動力としたり、手でたたいたりして伸ばす手打ち伸銅と呼ばれる加工法が用いられていました。

富本銭の写真
富本銭
東大寺大仏の写真
東大寺大仏

明治から現在へ

明治3年に大阪造幣局で蒸気機関を用いてロール圧延が初めて行われるなど、近代設備による機械化された銅の製造法が始まります。また、電気の普及により、導電性にすぐれる銅の需要は飛躍的に増大しました。第二次大戦後は、民需復興のための重要な基礎資材として、電源開発、造船、車両、建築、電気機器、通信機器をはじめ、生活用品にも幅広く使用されるようになりました。

現在、日本は量、品質ともに世界でも有数な銅製品の生産国となり、主にIT分野に欠かせない電気、電子部品に使用されています。さらに、近年では銅の「超抗菌性能」が注目され、家庭や公共施設、医療環境にいたるまで、さまざまな分野で銅を用いた抗菌製品が活躍しています。

H-Ⅱロケットの写真
H-Ⅱロケット
ドアハンドルの写真
ドアノブやハンドルに約1トンの銅製品が使われている

銅マーク「」の由来

日本銅センターのマークは、「♀」マークが基本になっています。お気づきでしたか?「♀」は日本工業規格でも定められている「雌記号」です。
じつは、この「♀」は世界的に銅のシンボルマークとして使われているのです。ロンドン金属取引所や米国のカッパークラブなども同様です。では、どうして銅は「♀」なのでしょうか。その謎を解くヒントがありましたので、二つご紹介しましょう。

その1:雑誌「銅のおはなし」(仲田進一著)に掲載された文章からその一文を引用させていただきます。
『古代エジプト人は、生命を象徴する象形文字としてTの上に○をのせた♀を用いました。これを「Ankh]記号(アンクー・マーク)と呼びます。また、古代ローマ人は占星術で銅を金星(ヴィーナス)になぞらえ「アンクー・マーク」を与えました。今日では、銅のシンボルとして+の上に○をのせた♀記号を用いています』・・・とのことでした。

その2:ドイツのKME社のホームページにはこんな興味深い記述が。 『古代ローマ時代、銅の主要生産地はキプロス(Cyprus)島で、銅は「Cupurum」と呼ばれていました。これが英語表記「COPPER」の語源です。一方、銅は「アンクー」とも呼びました。それは古代エジプトの「Ankh]、つまり♀が永遠不滅の生命を表す印で、銅がリサイクルされ何度も再生されるものであることから、そのイメージが重ねあわせられたからだといいます。

古代エジプトにおいても、永久の生命への願いは強かったようで、エジプトのファラオ(王)の名前の一部に、この「Ankh」がつけられていました。有名な若き王ツタンカーメンの名前も分解すると「Autankhamen」となっています』と書かれています。
何千年もの悠久の時を超えて、現在もなお銅が身近である事を、この記述は教えてくれています。

さて「♀」は銅の象徴というより、雌記号としての方が一般的です。この起源はどうだったのでしょうか?古代エジプトの神話にまでさかのぼります。
「地球の神」と「空の神」を両親に持つ「農業と人の死を支配する神」の妻で、「豊穣と母性の女神=アイシス」のシンボルマークであった、ということからだったようです。
日本銅センターのシンボルマークは、古代に永遠の命を与えられた「銅」という金属の偉大さを引き継ぎ、未来に銅の息吹を伝えるロマンと重責を象徴しているといえます。

また、銅の「Copper」という英語は、cyprium(シプリウム)→cyprum(シプラム)→cuprum(キュープラム)→copper(カパー)から生まれたといわれており、紀元前3000年頃キプロス島で銅が多く産出され古代エジプト時代から銅は創傷治療や飲料水の消毒など人々の暮らしの中で使われるようになりました。
紀元前2800年にはアプシル神殿(エジプト)で給水管として銅管が利用されました。